#3 「未知の世界」を、可能な限り正確に描写したい。
ほんとうの深海世界はまだ誰も体験したことがない。
でもそこを描かなきゃいけない。
寺本幸代(てらもと ゆきよ)監督
矢嶋 寺本さんが監督をされた『のび太の絵世界物語』はオリジナル脚本で、これまでの『映画ドラえもん』とは少し雰囲気の違った世界観だったので、場面設定など苦労されたところも多かったんじゃないですか?
寺本
舞台が中世ヨーロッパだったので、住居や城の床や壁がどんな素材でつくられているかはもちろん、森の植生や市場ではどんなものが売られていたのかなど、その時代の文化風習や自然環境、食事の仕方などを徹底的に調べました。
たとえば、その時代にない食べ物は描けないので大変でした。
食事のシーン
寺本 中世からルネサンス期に主流だった絵の具「テンペラ」については、ほとんど知識がなかったので、東京藝術大学まで取材にいって、「テンペラ」の描き方を教えてもらいました。先生が卵の黄身を混ぜて絵の具を作るところをビデオに撮って、それを参考にしてコンテを描きました。
東京藝術大学への取材を元に描かれた
矢嶋 『のび太の絵世界物語』で、とくに印象的だったのが、のび太たちが市場に抜け出るシーン。まばゆいばかりの光が美しかった。
アートリアの市場へ向かうシーン
寺本
イタリアにも取材に行ったのですが、太陽や空の色が日本とは違っていて、ものすごく眩しかったです。その体験があのシーンに生きています。でも、あまりにも日差しが強いものだから、日光過敏症になっちゃいました。
矢嶋くんも、深海という未知の世界が舞台だったので、大変だったでしょう?
矢嶋 深海の知識は、ほぼゼロでした。寺本さんの中世の絵の具の情報とおなじで、専門家に教えてもらうのが一番だと思い、JAMSTEC(海洋研究開発機構)を訪ねて取材させてもらいました。
矢嶋監督も取材を行なった
たとえば、海洋生物は水深によって生態が違うと聞き、のび太たちのいる場所と深海の生物との関係性にはとくに注意を払いました。そのときに、作中に出てくる海洋ゴミの話など環境汚染の問題についても、詳しく教えていただきました。
寺本 深海の生物って、海上に引き上げると体が膨らんじゃうじゃないですか。深海で活動しているときのほんとうの姿は、どのようにして調べたんですか?
深海生物がたくさん登場する
矢嶋JAMSTECのデータベースに、泳いでいる姿が記録されている生物もあったのですが、やはり深海生物には謎が多い。陸に引き上げられたときの姿しかないものは、研究者の方が深海での姿を想像して描いた資料などを参考にしたり、いろいろな情報を精査して組み立てていきました。
チョウチンアンコウ(右)も深海で出会える
深海は、光の届かない闇の世界。最も強力なスポットライトをあてて調査するのですが、それでも5メートル先くらいまでしか見えないそうなんです。
今回の作品では、さらにその先の深海世界を描く必要があったので海底の地形の資料をかき集めて、推測をしていくしかありませんでした。ほんとうの深海世界はまだ誰も体験したことがない。でもそこを描かなきゃいけない。現時点で可能な限りのリアリティを描き出すことに苦労しました。
『ドラえもん』は、子どもたちの興味や知識を深める使命も担っている作品なので、あきらかな嘘をついてはいけないですから。
寺本 子ども時代に観たり読んだりしたものは、頭の奥深くに焼きつきますもんね。
矢嶋
『新・のび太の海底鬼岩城』では、ほぼすべてのシーンが海底世界です。ドラえもんたちのまわりにあるのは、空気ではなく水なんだということを表現するために、全編を通してマリンスノー(海中を雪のように浮遊するプランクトンの死骸)を漂わせました。
水中での動きについても、ダイバーが全力で海底を走っている映像も見せていただいたのですが、想像以上にスローでアニメの表現に落とし込むには少し無理があったんです。
よく見るとマリンスノーが漂っている
寺本 キャラクターの動きを科学的に忠実に表現すると、倍の時間がかかりますよね。尺が足りない。
矢嶋
事実とアニメの表現の折り合いをつけるのがいちばん難しかったですね。
水圧など水の抵抗の表現は極力抑えるけれど、浮力は生かした状態でキャラクターの動きを描写する。アニメの気持ちいい部分と深海での活動表現とのバランスを整えて、皆さんに届けましょうというコンセプトで制作しました。
たとえばしずかちゃんが振り向くシーンでも、おさげだけはゆっくり下ろしてほしいとか、そういう細かいところで浮力を感じさせようと小さな工夫を積み重ねています。
さまざまな工夫が施されている
それに付随して汗とか涙とか、体につく水分の表現は水中では基本的にすべてなしにしました。そうすると、映画のクライマックスでしずかちゃんが涙をながすシーンが問題になってきてしまって…。
鬼岩城の中、ポセイドンの中だけは空気あることにしようかと思ったのですが、鉄騎隊はロボットだし、海底人にも空気は必要ない。そうなると空気のない世界で、しずかちゃんの涙を改良するしかない。そこで、水の中にインクを垂らしてふわっと広がる「インクドロップ」というアートの表現を借りることにしたんです。
寺本 具体的には、どういう作り方をしたんですか?
矢嶋 実際にインクをぽとっと水槽に垂らした映像を撮影して、それをしずかちゃんの涙に合成しました。だからあのしずかちゃんの涙は、本当の涙のような、真実の水の動きなんです。
本当の水の動きで表現されている
寺本 あのシーン、CG で作ったのかと思ってました。
矢嶋 しずかちゃんの涙は、シナリオのときからずっと宿題になっていたシーンで、コンテを描き始めてもいいアイデアがでない。あのアイデアにたどり着いたときは、心のなかでガッツポーズをしました。
#4
先輩から受けとったバトンをつないでいく。
のび太たちの6人目の仲間
ぐらいのつもりで描こうと思っていました。
矢嶋
『のび太の絵世界物語』を観たときに、寺本さんワールドが炸裂した作品だと思ったんです。羽の生えた小さな悪魔「チャイ」がチョコレートを食べた時のかわいすぎる表情とか、もう寺本さんしか描き出せない映像でした。
「かるがるつりざお」をつかって井戸の中に落ちたのび太を助けるシーンなんて、バシバシバシバシと何回も繰り返す。僕の中の寺本さんワールドには、かわいいにくわえて、ギャグチックな要素がちゃっかりはいっている。ジャイアンが処刑されるところなんかは、すごく緊迫する場面なんだけど、どこかコミカルでもある。
「かるがるつりざお」で振り回されるコミカルなシーン
寺本
私の根っこにあるのは、昭和の笑いなんですよ(笑)。ちょこっとギャグをいれたくなっちゃう。
私が旧作の『のび太の海底鬼岩城』を観たのは小さな頃で、映像はそれほど見直してないんです。だから矢嶋くんの『新・のび太の海底鬼岩城』を観て、もう懐かしさで泣きそうになりました。
それと、例のトイレのシーンの後に、のび太とジャイアンとスネ夫が団子になってふざけているとことか、すごく子供らしい感じがして良かったです。
のび太、ジャイアン、スネ夫のじゃれ合い
矢嶋 あのシーンは実体験なんです。男の子は、修学旅行なんかでもよくやるんですよ。布団に飛び込んで、そのあと枕投げになって、先生に叱られる(笑)
寺本 バギーちゃん(ひみつ道具の「水中バギー」)を、原作よりすこし小さくしたのはなにか理由があるんですか?
矢嶋
じつは、寺本さんの「ピッポ」(『新・のび太と鉄人兵団』)から着想を得たんです。
この対談の前編でもお話したように、「ピッポ」とのび太が心を通わせていくプロセスにすごく感動したものですから、バギーちゃんもそうできないかと。原作では、バギーちゃんはドラえもんのポケットの中に入っていることが多く、のび太たちとともに体験する場面が少ないんですね。
でも、今回バギーの「心」を育むためには、「体験」することが一番重要だったので、なるべくのび太たちと一緒に行動させたい。のび太たちの6人目の仲間ぐらいのつもりで描こうと思っていました。原作の大きさだと「どこでもドア」もくぐれないし、「テントアパート」にもはいれないでしょう。それで、すこし小さくしたんです。
のび太と同じベッドで就寝する
寺本 ちっちゃいバギーちゃんが「テントアパート」の中のしずかちゃんの部屋訪ねてくるシーンとか、めっちゃかわいかった。そして、バギーちゃんの最後のセリフ「ゆるさない!」には、魂がこもっていましたね!
矢嶋 旧作のコンピュータっぽい感じもすてがたかったのですが、いまの子どもたちはSiriやAlexaなどAIの音声と普通に会話しているでしょう。だから声優さんには、あくまで今風の AI の自然なしゃべり方をベースにすこしだけ機械感を加味してもらいました。最初は少し抑えて演じながら、だんだんバギーちゃんにも「心」が生まれてくるようなかんじで。そして最後の「ゆるさない!」は、一発OKでした。
寺本 そういえば、のび太の部屋の風鈴。あれは、『のび太の絵世界物語』のラストカットのものを使ってくれたんでしょう?ひと目でわかりました!
ラストで登場する風鈴は……
の冒頭でも登場していた
矢嶋はい!僕は、勝手に寺本さんからバトンを渡されたと思っていて、『のび太の絵世界物語』に対するオマージュとして、スケッチブックとクレヨンも作中に入れているんです。
寺本 うれしい!それもちゃんと見つけましたよ。
矢嶋 ムービーチェックの時、最初はキャラクターがクレヨンを踏んでいたんです。スケッチブックとクレヨンは寺本さんからのバトンだから絶対に踏んじゃダメだ!寺本さんに顔向けできない!ちょっと位置を調整してくれ!と(笑)
前作から引き継いだスケッチブックが見える
にもこだわる矢嶋監督
寺本 そんなおおげさな(笑)でも、移動してくれたんだ。ありがとう。 『のび太の絵世界物語』でも元のシナリオでは、『海底鬼岩城』のあの有名なシーン、ドラえもんの「こわれておわびする。」が入っていたんです。でも、次回作は『海底鬼岩城』に決まったと聞きまして、せっかくの『海底鬼岩城』の名セリフを先取りしては申し訳ないと思って、泣く泣くカットした記憶があります。
『新・のび太の海底鬼岩城』で登場する
「こわれておわびする。」シーン
#5
ネジに込めた矢嶋監督の「思い」。
深海には、星がない。
唯一の星になれるのがバギーちゃんだ。
寺本 物語の導入部分、夏休みの宿題を終わらせないとキャンプに行けないのび太をみんなが手伝って、それをドラえもんが応援するシーン。あのドラえもんも最高にかわいいよね。
矢嶋 あのシーンも迷ったんです。原作では「扇子」で応援していたのですが、最近の子どもたちには扇子はなじみがないでしょう。応援、応援、応援、と呪文のように唱えていたら、あっ「推し活うちわ」だとひらめいて…!
「推し活うちわ」が採用された
寺本 SNSでも話題になってたそうですね。あのシーン大好きだって。
矢嶋 のび太が宿題をしているときに使っていた辞書、気づいてもらえました?
寺本 えっ??
「意固辞苑」が置いてある
矢嶋 「広辞苑」じゃなくて「意固辞苑」なんです。
寺本 細かいところにもこだわってるね!
矢嶋 のび太の部屋の中にある本などについても、川崎市にある「藤子・F・不二雄ミュージアム」ののび太の家の展示なども見せてもらって参考にしました。
のび太の家」(1/5サイズ)
寺本 『のび太の絵世界物語』はオリジナル脚本だったんですが、オリジナルのひみつ道具は極力出さないようにしようと脚本の伊藤公志さんが決めていました。設定上どうしても必要だった「はいりこみライト」だけがオリジナル道具だったと思います。
矢嶋 僕もおなじです。藤子・F・不二雄先生のひみつ道具を基本にして、どうしてもつじつまのあわないところだけ工夫しました。普通の水中カメラを深海で使うとさすがに水圧には耐えられないだろうということで、ひみつ道具にして「深海カメラ」と名付けました。
寺本 最後のシーンでは、あのネジにおまじないのようなしるしをつけたのが、すごく良かったです。
制作の上で共通事項がある両監督
矢嶋
しずかちゃんが願いを込める、おまじない的なネジにしようと考えていました。旧作ではヒトデのようなものをバギーちゃんに貼っていたんです。そのヒトデから連想して、星のかたちにしました。
深海には、星がない。唯一の星になれるのがバギーちゃんだ。みんなの希望の星になる。スピードスター。そういう、いろんな思いをのせました。
ほしのおまじない
寺本 なんか素敵だね。矢嶋くんのその思いは、きっとファンの皆さんの「心」にも届くと信じています。
矢嶋
『ドラえもん』は、寺本さんや僕たちが作品に関わる以前から、ずっと子どもたちによりそってきて、いま僕の子どもたちも楽しんでいる。そして、彼らが大人になったとき、またその子どもたちのそばにいる。永遠に愛され続けられる作品です。
だからこそ期待も大きく、その期待に応えなきゃいけないというプレッシャーもありました。背筋が正されるような思いで作った『映画ドラえもん
新・のび太の海底鬼岩城』。一度だけじゃなく、何度も観ていろんな発見をしてもらえると嬉しいです。
▶ 矢嶋監督・寺本監督、
素敵なお話をありがとうございました!