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●ひらやま たかし
「コロコロコミック」
第3代(1987〜1991)編集長
小学館「学年誌」「コロコロコミック」「ビッグコミック」などで藤子先生の担当をつとめる。現在は小学館児童・学習編集局執行役員。

●くろかわ かずひこ
「コロコロコミック」
第4代(1991〜1994)編集長
小学館「小学三年生」ではじめて藤子先生の担当に。現在は小学館児童・学習編集局プロデューサー。新しい児童向け雑誌を企画中。


2003.06.27更新



平山
「ドラえもん」は当時学年誌(小学一〜六年生)で連載してて、「てんとう虫コミックス」で6巻。累計で300万部ぐらいになっていました。

学年誌という本の発行特性から、先生は全部学年によって描き分けておられたから、三年生でドラえもんが大好きな子は、読まないドラえもんがその月に他の学年誌に5本掲載されてるわけです。そうすると、ドラえもん好きの子どもたちが読んでいないドラえもんがこの世の中にはいっぱいあるって言うことになるわけです。

それで読んでいない作品を集めた総集編のドラえもんの本を出そうということで「コロコロコミック」が創刊されたわけです。ドラえもんだけで200ページ。他に、「キテレツ大百科」や「みきおとミキオ」が載っていて、「コロコロコミック」はまさに“藤子・F・不二雄マガジン”だったんです。

黒川 私は、昭和52年入社ですが、まだ編集部に配属される前の新入社員研修で書店さんで働くんですが、そこに「コロコロコミック」創刊号が10冊配本されてきましてね。
瞬く間に9冊売れまして、残った1冊は自分で買ったんです。超値打ちものです(笑) ある意味、ドラえもんとの出会い、藤子先生やコロコロコミックともそこに運命の出会いがあったんです! 創刊号は、タイトルの「コロコロコミック」よりも「ドラえもん」という文字の方が大きく入った、今までにないユニークな本でした。

平山 当時、女の子向けの漫画雑誌はあったんだけど、小学生の男の子のものってなかったんですよ。

この「コロコロコミック」が創刊されたことで、男の子向け漫画雑誌が定着した。藤子先生はそういう意味でも、この後の若い児童漫画家さんに大きな影響を与えたし、小学生向けの漫画を描く人たちがどんどん世の中に出られるような舞台を作ったということが言えると思いますね。



平山 映画の原作で、「のび太の宇宙小戦争(リトル・スター・ウォーズ)」を連載している時に、あれは、のび太たちがちっちゃくなって、ある星に行く話なんだけど。最後のクライマックスの、もう大ピンチって時に、わーっと、体がもとの大きさにもどっちゃうの。それで、その星でガリバーみたいに巨大化するところから先、「袋とじにしましょう」って先生に提案したら、結構のっていただいて。

しずかちゃんが、「わー、やられるー!」って海底にぶくぶく沈んで行くところで、突然大きくなっちゃう。でも、そこから先、袋とじになって、肝心なところがどうなるのか読めない(笑)

それで、袋とじにするためには、印刷の進行の都合で、袋とじの方を先に描かなきゃならない。つまり、最後のクライマックスから描かなくちゃいけなくて、先生に「大丈夫ですか?」って聞いたら、「ちょっとやりにくいけど、若い時、本誌の漫画から、“別冊付録に続く”っていうのがよくあって。その場合は進行の都合で、別冊付録から先に描くんですよ。その後、前に戻って本誌を描く。それと同じだから」って。面白そうなことにはすぐのってくれる先生でしたね。

ページのめくられる側が袋状に閉じられていて、読者が切らないと中が見られないようになっているもの。
早く先を知りたいのに…ドキドキワクワク! ああなかなか先が読めないっ!

黒川
でも、かなり、無理をお願いしたこともいっぱいあるんですよ。

写真撮影もそうとうおつき合いいただいています。ここにも“やらせ写真”がありますが(笑) 先生が物思いにふけっておられ、案を構想中、とかね(笑)
忙しいのにこういった編集者のわがままなリクエストにいろいろつきあってくださいました(笑)




平山 「のび太の恐竜」は、映画の第1作だし、その時担当していたので、とても思い出深い作品です。

それまで「ドラえもん」は学年誌の原稿をまとめて、「コロコロコミック」で再編集してたでしょ。映画原作からコロコロのための描きおろしになって、これは、学年誌には載らないわけですよ。「コロコロ」にしか載らない。だからトビラにね、“独占連載!!”って入れたの(笑) この“独占”っていれる気持ちの誇らしさって、今でも思い出すな。「よし、ドラえもん、独占って!」(笑)

黒川 長編の「のび太と雲の王国」の時は、ドラえもんキャンペーンとしてソーラーカー「ソラえもん号」がつくられました。
オーストラリア縦断の世界ソーラーカーレースにも夢の実現として参加したりして、すごく盛り上がりました! でも長いレースの途中、編集部から連絡が入って「先生が入院された」って。ショックでした。
3000キロの縦断の旅の1500キロくらいのところで、私はソラえもん号と別れてとんぼ返りで帰国しました…。

平山 映画10周年で「日本誕生」って作品があるんだけど。ちょうどその映画が公開されるときに平成元年になったんですよ。わー、ドンピシャのタイトルになったなって思いましたね。

黒川 映画のポスターも『製作総指揮!藤子・F・不二雄!』って入れてもらい、ドラキャンペーンの時には巨大熱気球「ドラバルくん」が作られました。これは 社内で公募したアイディアから誕生したんです。小学館社員全員盛り上がってましたよ。

まさに私たちが“ムード盛り上げ楽団”になっていました(笑)


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